vol.01

Vol.01

家具メーカー、百貨店売場担当(販売)中尾 智美 さん

「結婚してはじめて"自立"できた気がする」

「結婚してはじめて、"ただいま"と気がねなく帰れる家ができました。同時に、はじめて『自立できた!』と感じられました。自分の生活を自分のお金でしているんだ、という実感を持てたんです」結婚して1年半。中尾智美さんにとっての『結婚』は、"甘えている自分"との決別でもあったようです。「10歳上の兄がいるんです。私が調布学園に入った小学校4年生のときにはすでに別々に暮らしてました。その兄は、当時まだ20歳だったのに、10歳の私を『自分がひきとる』と言ってくれた人。私が18歳で学園を出てからは、しばらく一緒に住んでいました。そしていつも助けてくれた。私はいつも、どこかで兄に甘えていました。そしてそんな自分は、自立していない・・・と、思い続けていました。結婚して、ようやく兄を自由にすることができたかな、って、その思いから解放されたんです」智美さんらしい『結婚観』の背景にあるのは、やはり智美さんが歩いてきた人生。智美さんは、入ってきたとたんにその場をぱっと明るくするような、元気ではつらつとした女性ですが、一時は家から一歩も外に出られない、つらい時期もあったそうです。

甘えちゃいけないという思いから身動きがとれなくなった半年間

「高校生の頃は随分身勝手な学園生活を送った気がします。その結果私だけ進路が決まらなかったんです。本当は行きたかった大学への進学も言い出せないまま、毎日その場は楽しいけど、"この先どうするのか"ということからはずっと逃げていました。学園の職員には最後まで心配をかけたまま、『何かをがんばっている自分をいつか見せにくるからね』と伝えて卒園しました」卒園を機に智美さんはお兄さんと一緒に暮らしはじめバイトを続けながら生活します。ところがあるとき仕事を失くしてしまい、「別の仕事を探さなければ・・・」と自分に檄を飛ばす毎日に、思いがけない危機が訪れました。「施設出身者といっても、卒園してからは衣食住に困ったことがない。苦労らしい苦労はしていないと思います。このときだって、住むところがあったんです。恵まれているんだから、もっとがんばらなきゃ。今の私は甘えているだけだ、と思いました。でも、動けない。どうしても動けないんです。だんだん外にも出られなくなり、人と会うのが苦痛になり、面接の電話すらできなくなってしまった。そんな状態を誰にも言えませんでした。兄にも、です」。半年近く、そんな時期が続きました。つらいとき、学園の職員の顔が浮かんだそうです。でも、「助けて」とは連絡できなかった智美さん。一緒に探そう!と求人誌を持って家に通ってくれた友人の支えもあり、智美さんは、前職の家具屋の仕事と出会います。始めてのお給料を手にしたとき、「やっとほっとした」と言います。   お兄さんにも、職員にも自分の状態を話せるようになり、智美さんはようやく長いトンネルを抜けだしました。「学園の職員に久しぶりに会えたときには、ボロボロ泣いてしまいました。やっと話せてよかった、って。職員に、病院でカウンセリング受けてみなさいと言われてハッとしました。病気のせいにしてしまうことすらも、自分の甘えだと思っていたんです」「家具屋では丸5年働き、その仕事を心底楽しいと思えました。感情をちゃんと受け止めてくれる温かい人たちのいる職場だったから、続けられたんだと思います」 その後、今の家具メーカーに転職し、販売の仕事を頑張っています。その経験を、職員に頼まれて、学園の中学生たちに話したこともあります。「大学に進学したわけでもないし、卒園後すぐに就職したわけでもない。私なんてほんとうにありふれた人生。でも、そんなちょっとしたことでも励みにしてもらえるんだということが嬉しかった」智美さんにとって、"自立"は自分自身との戦いでした。それを乗り越えた末に、"結婚"という出会いが訪れたのかもしれません。インタビューを終えて、「活動がんばってくださいね」と逆にことばをかけてくれた智美さん。周囲の人を幸せな気持ちにさせてくれる女性です。

( 記事提供/NPO法人ブリッジフォースマイル発行「Smile!」先輩たちの今  )